「生きてさえいてくれれば」17歳になった長男と再び病気と向き合う時が来た

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最終更新日 2023-12-05「生きてさえいてくれれば」

と思った2016年7月20日から5年半、今日は久しぶりに長男みーの近況について書き残しておこうと思います。

実は久しぶりに国立病院機構名古屋医療センターへ行ってきました。3月15日の朝、高校に向かう途中に歩道橋を下りている時に突然片足が動かなくなり転倒転落して頭、手などを負傷してしまうという事が起きました。

5年半前、6年生の1学期終業式に起きた交通事故。出会いがしらの車とぶつかり17m飛んでしまった小さな体。頭部を地面に打ち付けて頭蓋骨骨折、くも膜下出血、脳内のいたる部分で出血が認められた彼は私が病院にかけつけた直後にうめき声を発して意識を失ってしまいました。

それから17日間後に目を覚ますまでの長かったこと・・・冒頭の願いを何度も何度も繰り返したその時の事は忘れることが出来ません。

失っていた表情も徐々に戻り、経管栄養のチューブが鼻から抜け、1年生のドリルに何とか取り組めるようになり・・・生まれてからの時間をもう一度速足でやり直すかのような数か月間ののち、秋には小学校へ戻ることが出来たのは奇跡のようでした。

小学校卒業、あっという間の中学3年間、少し重めの高次脳機能障害と認定されながらも一生懸命勉強に取り組み無事に高校に進学した彼の姿を見ていると、事故は過去になりつつありました、少なくとも私には。今思えば食卓を囲んでいる最中にも突然手がビクンと痙攣のように動くことがあるなとは思っていましたが、その都度「大丈夫大丈夫」と。しかし昨日の彼からは「病院に行きたい」との言葉が出ました。本人は思い通りにならない身体の変化に気が付いていたのでしょうね。親としてもっと早く寄り添えなかったのかと少し悔しい気持ちです。

いたずらに不安にさせてはいけないと思い、大丈夫だよと伝えながら昨日は脳神経外科受付で長い長い待ちあいの時間を共に過ごしました。彼は村上春樹の「1Q84」や高校の教科書に目を落としていましたが、内心はどんな気持ちだったのでしょう。

ようやく呼ばれて診察室へ。当時主治医として支えて下さった医師は他院へ異動されており、新しい若い先生に過去の経緯を説明しなおします。知らない医師ではあるものの当時の記録も残っている病院へ再び繋がれたことは安心の材料となります。症状を少し話し精密検査をするために春休みにしばらく入院をすることになりそうです。脳波には異常な数値が以前から出ていたため、まずはてんかん発作を疑うことになるでしょう。

「何があっても生きていかないといけないんだから」と当時の主治医の医師は高次脳機能障害が分かった時に話してくださいました。彼にはどんなことがあろうともクヨクヨせずに生きていって欲しい。事故以降そのことだけは事あるごとに伝えてきたつもりです。「生きてさえいてくれれば」と5年半前に思った私。その時はそう思ったものの、その後の成長を見続けていると、親としての願いはより大きくなっていたように思います。何事も無く事故を忘れて生きていければ最も良かったのかもしれませんが、やはり事故から解放されることはないのかもしれません。もう一度色々な人の力も借り、事故と付き合いながら彼が生きるために親として出来るだけの事をしていこうと思う1日でした。

こうやって書いていると、事故の後に毎日揺れ動く気持ちをこうやってブログに書きしるしていたことを思い出します。これからも子ども達や家族の生きる記録を残していきこうと思います。

 

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