二度と新たな戦後を迎えなくていいように~子どもと読む8月の書籍・絵本3冊

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最終更新日 2023-12-058月と言えば、6日の広島への原爆投下の日などが毎年学校の登校日に指定され、平和学習を行う日だったことを今でもよく思い出します。暑い暑い小学校の体育館で戦争を体験した方々の話を聞いたり、原爆にまつわる映画を観たりしたことがある方も多いのではないでしょうか。私が小学生の頃はまだ戦争が終わってから30数年しか経っていなかったのだなと思うと、話をされていた方々もまだ若かった(小学生の自分からするともちろん随分歳をとったかたでしたが)し、話の内容は生々しかったのかもしれません。一方で、まだ時が近すぎて話せないという方も大勢いたのかもしれません。

ともかく、8月という月は一年の中でも最も戦争と平和を考える月になっていたことは間違いありませんし、あの戦争のことは何年、何十年経とうとも風化させてはいけないのだと思っています。

その頃からさらに40年近くの年月が経ち、第二次世界大戦の敗戦から今年で73年目の夏を迎えました。戦争を体験した方々は年々少なくなるのは致し方ない現実です。私の身の回りにもあまりいらっしゃいません。私の父は戦時中の生まれですが、1944年生まれですから直接の戦時中の記憶、戦場の記憶はもちろん残っていません。100歳を過ぎてから無くなった祖父は職業軍人として戦地へ行っていました。数年前、殆ど何も語ることなく天寿を全うしましたが、私の父には戦争の悲惨さをチラホラと語っていたようです。

戦後60年を過ぎた頃に生まれた長男みーや70年を目前にして生まれた次男みぃ君には戦争はどのようにうつるのでしょう。我が家では毎年8月には我が家なりの平和学習を生活の中に位置づけるようにしています。

5歳のみぃ君は保育園で絵本「へいわってすてきだね」を先生が読んでくれたそうです。それ以来、「ばくだんイヤだよね。」「しんじゃうんでしょ?」とよく聞いてきます。私は、「みぃ君の保育園の10個分も100個分もの子どもも先生もみんな一緒に死んじゃうんだよ、パパもママもみぃ君も、爆弾や原爆で」と話しました。5歳のみぃ君にはどれだけ想像できるのかわかりませんが、少しでも戦争と平和について考えるきっかけになってくれたらと思ってお話をしています。

絵本「へいわってすてきだね」は、6月23日の沖縄県慰霊の日の式典で6歳の男の子が朗読した詩を元にした絵本。

へいわってなにかな。ぼくは、かんがえたよ。ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいてる。ちょうめいそうがたくさんはえ、よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。へいわっていいね。へいわってうれしいね。みんなのこころから、へいわがうまれるんだね。ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。これからも、ずっとへいわがつづくように、ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

「へいわってすてきだね」出版社からの内容紹介抜粋

「へいわって何かな」「いまのままで大丈夫かな?」・・・その問いを忘れずに大人になって欲しいと願わずにいられません。

 

中学2年生になった長男みー、今年も平和学習の登校日はありませんでした。昨年は親元から離れ、広島を訪問させました。今年は2冊の本を送りました。

一冊は神戸の祖父母から。暮らしの手帖社「戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ」。数年前の連ドラ「とと姉ちゃん」でも話題になった雑誌「暮らしの手帖」。その創刊から今年で70年になるそうです。70年記念出版ということで、読者からの投稿をまとめて本書が出版されました。

戦争の現実にはいつでも異論を唱える人々がいることを感じています。歴史の認識はそれぞれの国によって違うとか、数字の大小で争ってみたりとか。しかし、この本にまとめられた、戦時下の一家族が、一個人が経験した現実は、誰によっても歪められたり、否定できない戦争の一つの事実です。このことを絶対に忘れてはいけないと思います。

私もまだ読み切れていないのですが、一緒に読んでみようと思っています。

君という美しい命は、偶然灯された一閃の光だ
君、忘れてはいけない。
きのう、戦争があったのだ。昔むかしの物語ではない。
その大きな戦(いくさ)は、昭和という時代、二十世紀にあった。
君がきょう歩いているかもしれない美しい町は、
かつて亡きがらが転がり、いたるところが墓地となった焼け野原。
空から日夜恐怖が降ってくる、地獄の土地だった。
そんなところで、それでも人は……君の父や母の父や母、祖父や祖母は、
生き続けた。生き続けたから、君がいる。
君という美しい命は、未曽有の戦災をかろうじてくぐり抜けた人、
その人を守った誰かの先に偶然のように灯された一閃の光だ。
我々は『戦争中の暮しの記録』から半世紀経ったいま、もう一度訊く。
あの日々、どう暮らしたか? どう生きて、どう死んだのか?
これが最後のチャンスかもしれない。急げ急げ!
この新たな本では約百編の応募作文を掲載する。
名もなき庶民の、胸を激しくゆさぶる言葉に、触れてほしい。
それは、我らの肉親からの現在形の叫び、愛だけから成るメッセージだ。
いま、この一冊を手にしようとする君がもし若いとしたら、
平成に、あるいは二十一世紀に生まれた人かもしれない。
だが、君が誰であろうと、忘れてはいけない。
ドアの向こうに、次の戦争が目を光らせて待っているということを。
人類の短い歴史とは、戦争の歴史であるから。戦後とは、戦前のことだから。
先の本のメッセージを、繰り返す。「これが戦争なのだ」。
それを知っておきたい。君に知ってもらいたい。
できることなら、君の後に生まれる者のために、そのまた後の者のために、
この新たな一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、残しておいてほしい。

(本書編集者巻頭言より抜粋)

そしてもう一冊、私からは映画も大きな話題となり、現在ドラマも放映されている「この世界の片隅に」小説版。映画も何度か観ましたが、文字として読んでみて欲しいと思い選びました。

すずは広島の江波で生まれた絵が得意な少女。昭和19年、18歳で呉に嫁いだすずは、戦争が世の中の空気を変えていく中、ひとりの主婦として前を向いて生きていく。だが、戦争は進み、呉はたびたび空襲に見舞われる。そして昭和20年の夏がやってきた――。数々の漫画賞を受賞した原作コミック、待望の劇場アニメ化。戦時下の広島・呉を生きるすずの日常と軌跡を描く物語、ノベライズ版。

©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

 

 

上記の二作には共通した特徴があるように思います。それは、市井の人々の日常普通の暮らしを描きながら戦争の現実を浮き上がらせていくということのように思います。戦史、作戦、戦争中の有名な人物などを通してではなく、日常の日々が戦争によってどのように変えられてしまうのか。私は、「この世界の片隅に」を観た時に、抗いたくても抗えない世の中になってからでは遅いのだと、改めて痛感したことを覚えています。

13歳のみぃは現代の社会と戦争の時代をどのように結び付けて考えていくことが出来るでしょう。そんな期待を込めながら、手渡しました。

 

暮らしの手帖の巻頭言では「戦後とは、戦前のことだから。」と書かれています。しかし、私はいつまでも戦後が続いて欲しいと願っています。もう二度と、新しい戦後を迎えたくない。そのために自分は何が出来るのか、戦争を経験していない世代として、子ども達に真実を伝え続けないといけないと改めて思う8月です。

そして最後に、登山もキャンプも平和であってこそ楽しめるものであることは間違いありません。

 

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