ありがとうございました・・・安らかに眠ってください

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とてもお世話になった義母が数日前に亡くなりました。64歳という若さでした。

当ブログは登山やキャンプを中心とした記事を書いていますが、メインは家族の記録です。ここ数日、この事を書かずに先に進めない気持ちでいました。アウトドアとは何も関係のない家族のことになりますが、みーの事故の時と同様に書くことで整理出来ることがあるのです。

金曜日の午前、仕事中でしたがスマホに妻からの着信。それだけでその時が来たことを察しました。

 

 

2020年12月、「調子が悪い」と言いながらも普通に電話をしていた岡山に住む義母が救急搬送されたと連絡を受けたのは年の瀬も迫る時期のことでした。

検査の結果、脳のかなりの部分が腫瘍に侵されていました。急ぎ手術をと大きな病院へ転院した直後、意識を失い緊急手術。病理検査の結果は神経膠芽腫。ステージⅣ。すでに手の施しようのない状況でした。手術では脳内に溜まった水を抜き、取れるだけの腫瘍を取ることしか出来なかったそうです。健康には気を遣う人で、半年ほど前には脳の画像も撮っていたようですが、腫瘍は気づかれないうちにあっという間に大きくなってしまっていました。

駆けつけようにも新型コロナウイルスによって家族であっても面会が出来ない状況。電話口の医師の説明を聞き、苦しさを伴う積極的治療はしない事を選択しました。

介添えをしてもらいながら画面越しの面会などをしていましたが、病状は少しずつ進行していたようです。4月に入り名古屋への転院、引き取ることを決めました。

妻と私で新倉敷駅で久しぶりの対面。倒れるまで現役で働き社交ダンスのインストラクターの資格なども持ち元気に活躍していた義母。50歳になる前に孫のみーが生まれると「おばあちゃんとは呼ばせない!ゆうゆうって呼んで」ととても気が若く陽気だった義母が今では車いすに乗り、目をつぶったまますでに話すことも出来ない状態になっている姿を見てショックを感じざるを得ませんでした。新幹線の中では時折涙を流されることがあり、会えたことを喜んでくれているのか、岡山から遠く離れた地に向かうことで最期を迎えることになることを感じてなのか・・・久しぶりの再会の喜び以上に辛い時間でした。

一時受け入れをしてくれた名古屋医療センターはみーの事故でもお世話になった病院。たまたまその時の看護師さんも覚えていてくださり、驚きの再会を果たすなど嬉しいことも。その後は予定通り緩和ケアが出来る自宅の近くの病院へ転院。岡山では出来なかった着替えの交換などぐらいしか出来なかったものの、最後の約3週間は義母が近くにいるだけで何だか安心した気持ちでした。

 

仕事を切り上げて病院へ駆けつけると、朝から血圧が下がっているとのこと。病室に入ると呼吸が苦しそう。しばらくすると妻も仕事先から駆け付け・・・。それから一旦落ち着いたものの、最後は静かに息を引き取っていきました。倒れてから5ヶ月半、64歳はあまりにも早い別れでした。

 

結婚後、遠いといこともありなかなか行くことが出来なかった義母の住む岡山県ですが、5年前の7月に義母の還暦のお祝いということで京都旅行へ行きました。その時の事をブログに少しだけ書いていました。この数日後、写真にも写っているみーが交通事故に。その時にも病院に真っ先に駆けつけてくれ、集中治療室のベッドに横になり麻痺状態になっていた足を一生懸命さ擦ってくれた義母。仕事も忙しかったのに何度も名古屋まで来てくれ励ましてくれたことは今でもよく覚えています。

昨年には「テント新しく買うならお金出してあげるよ!」なんて言ってヒルバーグのアトラスの値段を聞いてくれたりもしていた義母(笑)。

お世話になったにもかかわらず、何も出来ないまま去ってしまいました。何となく心残りを抱えることになってしまいましたが、「忘れない」ことが一番の孝行になるのではないかと、亡くなってから数日経ってそのように思うようになってきました。

ゆうゆう、ありがとうございました。お疲れさまでした、家族元気で過ごしていきます。安らかに眠ってください。

 

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