四徳温泉キャンプ場で感じたことがずっと心に残る

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最終更新日 2021-12-19

自分の故郷はどこなんだろう。

40も半ばに差しかかろうとするこの頃、ふとそんなことを思い、寂しさが時折胸をつくことがある。

生まれ育った東京を離れ、父親の転勤に伴い大阪へ引越しをしたのは小学4年の頃だった。
中学校入学とともにまた転校。
大学進学とともに1人愛知県へ。点々とした。

長期休みの時には大阪に戻り、一時的には大阪が自分の故郷になったと思った。
それも束の間、大学を卒業する頃に両親が沖縄へ移住。故郷だと思っていた大阪には帰る家が無くなってしまった。

何年間かは休みのたびに沖縄へ戻ったものの、今度は祖父の介護のために両親は神戸へ転居。
沖縄も神戸も自分は住んだことすらない土地。実家へ帰っても何の思い出もない土地への「帰郷」となり、いい場所だとは思っても愛着はわかなかった。

そんな人はごろごろいるのだろうけれど、どこにも住み慣れた土地がないというのはとても寂しい。

人生の半分以上を名古屋で過ごしているにもかかわらず、何故か名古屋が自分の故郷だとは思えずにいる。
子どもたちにとっては間違いなく名古屋が故郷なんだろうけれど、自分には…

これからどうなのかはわからないけれど、いつも寂しさを感じてきたのは事実だった。なぜなんだろう・・・。

四徳温泉キャンプ場最大の魅力

そんな自分からは四徳温泉キャンプ場の人々が輝いて見えた
その輝きこそが四徳温泉キャンプ場の最大の魅力だと言ってもいい。

人口5000人の長野県中川村
中央アルプスと南アルプス、日本を代表する二つのアルプスを間近で見ることの出来る美しい村

その里からもさらに離れた山間に450年もの古くから湧き続ける温泉とキャンプ場がある。それが四徳温泉キャンプ場だ。

運営をしている方々は若く、熱意がある。
メインの管理をしているのは「わくわくしとく」代表の久保田さんとご家族。
中川村で生まれ、一度は都心部に出て働くもUターンして中川村に戻り、キャンプ場の運営に携わるようになったという。

受付横の調理場で調理をされている若い女性は「中川村地域おこし協力隊」の隊員。普段は地元で鹿肉の加工の仕事をしているという。いま注目のジビエだ。夜にはお隣の大鹿村の若者の姿もあった。
この一見すると過疎の地で若い人達が暮らしを持続させながら、生まれ育った山と川をもう一度育てていこうと繋がり、集い始めている。
故郷を思い、蘇らせようという熱意とエネルギーが眩しくとても魅力的だ。

 

キャンプ場をはかるモノサシがあったなら

キャンプ場の良さは人で決まるとつくづく感じる。

到着すると、まず温泉のある「ゆ家」でキャンプ場の受付をする。
久保田さんらが1組1組に丁寧に時間をとって優しく声をかけ説明をされる。
「あそこでマムシが出たから気をつけて。」「ここは中川村の水源地だから、シャンプーも石鹸も使わずに水を守って欲しいんです。」

まるでしばらくぶりに帰ってきた故郷の変化を話してくれるよう…そうだ、故郷に帰ってきたようだ…。

キャンプは記憶の中の故郷の景色

話は戻る。
父はとても忙しい人だった。

土日も仕事で夜も遅くまで働いていた。その分、母に山に連れて行ってもらったりもしたが、何と言っても記憶に残るのは、3人で出かけた年に何回かの長期キャンプキャラバンだ。

乗用車の二列目に荷物山のように置き、その上にベッドを作ってもらい深夜に東京を出発する。ワクワクしながらいつしか寝てしまい、起きたころには窓の外はすっかり大自然の景色に変わっていた。

長野、石川、富山、岐阜…テントで定住し、時には天気と相談しながらキャンプ地を転々とする。
毎年数回のこのキャンプキャラバンはどこに実家が移り変わっても、心に残る親子の風景。心の故郷と言ってもいい風景として今でも鮮明に残っている。

「キャンプ場の運営をするようになって、『焚き火台』という存在を知りました」と久保田さんが言われていた。自分もそうだった。

昔話をしていると、なぜ自分がキャンプを好きなのか、少し理解できた気がした。

自分にとってのキャンプは親子の思い出、故郷の景色なのかもしれないと。

キャンプ場の作りは実直だ

人と森が共生するキャンプ場作りと言っていいかもしれない。地元の、この土地の良さを発見し、生かすことこそというコンセプトを感じる。

水が大切にされている。
清潔で立派な炊事場はあるが、洗い物の前には食器などを紙などで拭き取ることで水を汚さないことに協力して欲しいと説明される。キャンプ場で使う水は、村の水源地の水だからだ。
キャンパーは自然に森と水を守ることに参加する仕組みになっている。


薪は拾って使ってもいいし、太めの薪棚から購入してもいい。どちらも森から出る間伐材。
人が使ってこそ森が守られる。

最低限の電灯があるが、2度訪問して付いていることは見たことがない。
その分、本当の暗さが体験できる。

暗さへの怖さと興味を子どもたちに伝えることが出来るまたとない場所だ。

そして、運が良ければ降り注ぐ星空を見ることが出来る。

「ゆ家」では地元の幻の日本酒や地ビール、地ウイスキーが置かれている。とんでもなく美味しかった。思わず帰りにそれぞれの蔵に訪問した。また繋がる。


見事な落葉松の森は直火可能エリアとして順次整備されている。

しかし、落葉松の枝が落ちる時期までは安全のために開けないでおくという。利益も大事だが安全と信頼が大事だと思う。

キャンプ場の目の前には沼地があり、今後本格的なビオトープを作るらしい。
キャンプ場作りのボランティアを募集している。もう少し若かったら…。
魅力の温泉の活用はまだまだ悩んでいるといわれる。全国でも上位に入るという強アルカリ泉のヌルヌル泉質。豊富に湧くが、温度を保つためにはお金もかかる。
必ず入ろうと思う。

澄んだ空気の中でユックリのんびりするもよし、トレッキングを楽しんだり、魚釣りなど、森と川を生かせば無限のアクティビティーがここにはある。

四徳温泉キャンプ場は未完である

「あと50年ぐらいすると、この木も使えるようになる」と久保田さんは話していた。
気が長いけれど、森からすると一瞬かもしれない。

進化系の進行形の四徳温泉キャンプ場

森に人が関わり続けることでより魅力を増していくことが出来る、大きな可能性を秘めたキャンプ場だと思う。
地方の再生とは何か、担うのは誰なのか、都市の私達はどう関わらせてもらえるのか、そんなテーマも見えてくるベースキャンプが四徳温泉キャンプ場なのかもしれない。

そして何よりも「お帰りなさい」と迎えてくれる「故郷のような」キャンプ場だ。

いい場所、刺激的な人々の営みに触れさせてもらい、また日々を頑張る力をもらった。

こういう発見と出会いがあるからキャンプは楽しい。

四徳温泉キャンプ場のこれからに期待したい。

 

四徳温泉キャンプ場本編は後日続く

 

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  • コメント ( 4 )

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  1. edi

    こんばんわ。
    故郷について、考えさせられましたw
    僕は、生まれた場所で育ち今も住んでいます。なんなら職場も同じです(笑)
    なので、今住んでいる場所についてはなんの思い入れも無いです(汗)
    よく、夏休みに同級生から田舎に帰ってきたという話を羨ましく思って聞いていました。
    離れてみないと故郷ってわからないものなんでしょうね。
    でも、みーパパさんみたいに故郷がどこかわからないっていうのも珍しいですねw
    僕も夏の家族旅行に毎年車中泊で信州をまわっていました。
    (今自分で行くようになって、色んな所に連れて行ってもらったんだなと感謝していますw)
    その頃の影響だと思いますが、今だに信州には強いあこがれがあり毎年夏に通っていますw
    四徳温泉も行きたいキャンプ場なので今年の夏に狙ってみようかなw

  2. まろぱぱ

    ここ良いキャンプ場ですよね。
    以前(2009年)は水源のことなんて言われなかったので、管理人さんは変わったようですね。
    最近人気で予約が取れなかったのはどんどん進化してるからかな。
    みーパパさんに紹介されたらますます人気が出ますね。
    ここは昭和36年の集中豪雨で当時80戸あった集落のうち61戸が被害を受け、
    学校も流されてしまったため集団移転をして無人となってしまったそうです。
    そういう意味ではここをかつて故郷とした方々も故郷を失ってしまったことになるんですよね。
    この山間部に81戸で500人あまりが暮らしていた景色ってどんなだったんでしょうね?
    賑やかな山間地域、見てみたかったな~。
    ちなみに私も故郷の茨城には実家はないですが、幸い思い出と旧友達は残ってます。
    故郷という感覚がないのはやはりちょっと寂しいですね

  3. まろぱぱ

    そうそう、キャンプ場の外に神社と集団移転の碑が残ってました。

  4. くろねこ

    故郷は場所ではなく心の中にあるのかも知れませんね。
    記憶はうまく引き出せなくなってもたぶん無くならない。
    故郷って言う場所はそれを引き出す鍵なのかも知れない。
    だとすれば、旅の中に鍵を見いだせるのであれば、それもまた故郷と言って良いのかも知れない。
    自らの幼き日のキャンプを思い出しながら、そんなことを考えました。
    きっとお子さん達にとっても、名古屋は故郷であり、キャンプもまた故郷になっていくでしょうね。